ストーリー

アンティカ トッレ トルナブオーニ1 と呼ばれた塔の家は、グエルファの一族ルッジェリーニにより13世紀半ばに建築されました。その後、塔はファステッィ家かピエトロボーノ家に渡り、1300年初頭にジャンフィリアッツィ家により購入され、1700年の末まで邸宅として使用されました。この塔はサンタトリニタ橋の先にあるサンタトリニタ教会の脇、トルナブオーニ通りの入り口にあります。

ジャンフィリアッツィ家の名は、後に王朝の建国の父と言われた、アッツォの息子ジャンとなったガレアッツォの息子、ジョバンニの名に由来すると言われています。

ジャンフィリアッツィは、教皇派でありマグナートと認識されていたため、フィレンツェ共和国の職務には就いてませんでしたが、ベネヴェントの戦いでのギベリン党の崩壊後、またアテネ公爵のフィレンツェ追放を機に、それまでの貢献を認められたジャンフィリアッツィが国の要職に就くことになりました。

1530年まで、ジャンフィリアッツィ一族には30人の執政官、10人の行政長官、スペロンドーロの騎士、戦争の仲介人や大使らがいました。また、サンタトリンタ地区に家や、塔、ロッジを建築し、教会地区の地主の様に振舞っていました。ジャンフィリアッツィ家は、司祭リナルドディロドヴィーコと共に、1764年に消滅しました。

1900年初頭から第二次大戦の終了まで、フィレンツェに魅了された貴族や英文学者らは、滞在場所としてアンティカ トッレ ディトルナブオーニを非常に好んでいた様です。

1900年初頭からこの塔は、"小さなペンション"として早々に貴族や英文学者らのレジデンスになりました。世界大戦後は、一度閉鎖されましたが、2001年にアンティカ トッレ ディ ヴィア トルナブオーニ1の名で"小さなペンション"が再開されました。そして、2008年には、美しいオリジナルと心に残る雰囲気を見事に保ちながら丁寧に修復されたことにより、トルナブオーニ通り1のジャンフィリアッツィ邸宅が、見事に再現されました。この魅力的な塔は、フィレンツェ中世特有の"塔の家"とされ、今日でも建築の特質が美しく保たれています。

これはある意味で、人間が戦争目的に作られた建物を平和、文化、歓待のオアシスに代えることが出来た見事な例ではないでしょうか。

建物は、4階建て、外壁が3面。通り側の外壁には、塔建築の特徴を現すコーベルとホールがあり、各階の境を示す2つの装飾線があります。この幾何学的建築は、コンペオッベシ塔同様、塔というよりは、邸宅を連想させます。塔の正面は、外側に向かった突出部と、グェルフィ狭間と呼ばれる王冠の様な形が施されています。窓の傍には、鉄のコーベルが壁に固定され、祝日や重要行事の際に旗やタペストリーを掲げるために使われたと言い伝えられています。

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